大山康晴『勝負のこころ』

[新装版]勝負のこころ

[新装版]勝負のこころ

『勝負師』で坂口安吾に仕切りに感心されていた青年大山康晴が、51歳のときに書いた本『勝負のこころ』を買った。
ビニールカバーが付いた本。いつも持ち歩いて読め、ってことか?
将棋の世界を生きてきて得た教訓がいろいろ書かれているが、誰の人生にとっても役に立ちそうなことがいっぱい書いてある。もっと早く読めばよかった。

 

  • 職場での「何も楽しくない」という呟きを反省させてくれる文。

プロとアマとの大きなちがいの一つは、アマは負けて口惜しい将棋は忘れてしまい、勝って嬉しい将棋だけを覚えている。プロは、勝った将棋は忘れてしまい、負けた将棋のことは覚えている。勝負を職業とする者と、楽しみとする者の違いであろう。

  • 職場での「割りに会わない」という呟きを反省させてくれる文。

棒ほど望めば針ほど叶う。

  • 職場での「孤独だ」という呟きを反省させてくれる文。

将棋の道は、鉱脈を掘り当てる仕事に似ている。自分の力で掘り始める。掘り進んでも、鉱脈を掘り当てなければ何にもならない。暗い坑道で、ひとりぽっちで、休みなく掘りつづけるのが将棋の道である。

  • 職場での「もっと上手いこと教えてくれればできるのに」という呟きを反省させてくれる文。

小学校一年生から六年生までのあいだに、将棋の本を千ページ暗記した。

しびれる。

  • 職場での「これは自分の評価に直接つながらない仕事だからやっても無駄なんだけどなあ」という呟きを反省させてくれる文。

 長考がつづくとき、記録係の少年もじっと坐って待っている。対局者と一緒になって一心不乱で手を読む少年もいる。近ごろは、膝のうえで週刊誌を開いて読んでいる少年もいる。退屈するのか、対局者の似顔絵を描いている少年も見た。
 いろいろなタイプがある。私たちの修行時代は、記録係を仰せつかるのは勉強の場を与えてもらうものだ、と喜んでいた。戦後は数多く対局して、数多くの記録係を見てきた。やはり、対局者と同じように一心不乱に手を読んでいた少年は、いつの間にか四段になっている。その反対の者は、いつまでも記録係でとどまっている。
 記録係を務めるといっても、ただ指し手を書き、手当てをもらって帰るようでは決して強くなれない。事実が証明している。ほんとうのプロは、どこで何を見ても、それを自分の仕事に結びつけ、何とか生かそうとする。それが、プロの務めだと思う。

 
まあ、私は勝負師ではなく、ただ夢見がちな人間です。いろいろ中途半端に手を出してきて、まだこれからどうしようと考えてりしている。
 
このあいだ、カメラマンを目指し、アルバイトをしながら勉強していた友達に久しぶりにあったのですが、最近は本業で食べていけるようになったそうで、前にはなかった落ち着きや明るさがあって、プロとしての自信が少しずつ芽生えてるのだなと感じました。
 
なんだか羨ましいが過去は変えられない。
読書する時間があることに感謝して生きよう。
一般事務ですが、勝負師モードで密かに熱く仕事をこなしていこう。